el:cid と失われた時間


私には、長いあいだ置き去りにしていた声がある。
それは、ある時期までは確かに私の中で鳴っていたし、
世界のどこかで誰かの耳に届いていた。
けれど、ある瞬間を境に、ふっと消えてしまった。
まるで、夜の海に落とした鍵のように。

私は el:cid というバンドで歌っていた。
その頃の私は、未来というものを疑っていなかった。
ステージの光はいつも少し眩しくて、客席の熱気はやけに生々しくて、
自分がどこへ向かっているのか、いちいち考える必要なんてなかった。

手を伸ばせば届きそうな未来が、静かに形を見せ始めていた
それは、手を伸ばせば届くような、
現実と夢の境界線みたいなものだった。
ただ、世界というのは時々、こちらの都合なんて気にしないで、
唐突に方向を変えることがある。

音は止まり、スタジオは静まり返った。
その静けさは、妙に重たくて、どこか冷たかった。

同じ楽屋で笑い合い、
同じステージの上で汗を流していた人たちが、
気づけば、遠い光の中にいた。

私の前にそっと置かれていた未来の欠片は、
ある人の突然の死とともに、世界から静かに姿を消した。
それは、私にとって、かすかに残っていた最後の灯りのようなものだった。

気づけば私は、音楽の外側にいた。
誰も悪くない。
ただ、私の時間だけが止まってしまった。

長い沈黙の中で、私は自分の声を失った。
未来を語ることが恥ずかしくなった。

「もう終わったんだ」
そう思っていた。

でも、終わっていなかった。

2020年。
遠い時間の中で私の歌を覚えていた人が、私を見つけてくれた。
忘れられたと思っていた名前を、
誰かがまだ覚えていてくれた。

その事実は、静かな部屋に差し込む朝の光みたいに、
私の中の何かをそっと揺らした。

情熱は消えていなかった。
ただ、深いところで眠っていただけだった。

私は再び声を出した。
震えていたけれど、確かに音になった。
その瞬間、止まっていた時間が少しだけ動いた。

音楽は私を裏切らなかった。
私が音楽から離れていた間も、
誰かが私の声を覚えていてくれた。

私は音楽を作る。
過去の傷をひとつずつ抱えたまま、
それでも、ゆっくりと前へ進むために。

私の人生は、
夢が壊れた物語ではなく、
夢の残骸を抱えながら、それでも声を取り戻した物語だ。

そして、まだ終わっていない。

声というものは、時々、奇妙な形で戻ってくる。
それは、忘れかけた旋律の断片だったり、
ふとした瞬間に胸の奥で鳴る微かな震えだったりする。

ある夜、私は古いデモテープを再生した。
埃をかぶったケースの中で、
長いあいだ眠っていた音が、ゆっくりと空気を震わせた。

その声は、若かった。
無鉄砲で、少し傲慢で、
未来を疑うことを知らなかった。

私はしばらく黙って、その音を聴いていた。
それは、過去の私であり、
同時に、今の私でもあった。

人は時々、過去の自分に会う必要がある。
それは懐かしさのためではなく、
今の自分がどこへ向かうべきかを思い出すためだ。

私はゆっくりと窓を開けた。
夜風が部屋に流れ込み、
どこかで南部鉄器が触れ合うような、低く沈んだ音がした。

世界は静かで、
それでも確かに動いていた。

私はその静けさの中で、
もう一度歌うことを選んだ。

声はまだ完全ではない。
時々、途切れたり、震えたりする。
けれど、それでいいのだと思う。

完璧な声よりも、
傷を抱えた声のほうが、
世界のどこかに届くことがある。

私はこれからも声を重ねていく。
過去の影をそっと抱えながら、
それでも前へ進むために。

そして、きっともう、
私の声はどこかの誰かの耳にそっと触れて、
同じ時を静かに刻んでいるのだと思う。

それだけで、十分だ。